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私と自己承認欲求 Twitter編

少し前にSNSを更新することをやめた。


元々Twitterとインスタを1ヶ月に1、2回更新する程度で決して多くはないと思う。


大した理由もないのだけれど、ふいに更新をやめようと思った。


やめてすぐの頃、「あーこれツイートしたい」」「この写真インスタにあげたい」という衝動に何度か襲われた。

そこまでして、我慢する必要は全くないのだけれど、決めたことを途中で翻したくないという頑固な性格なので更新はしなかった。


自分がツイートしたくなった具体的な内容は次のようなもの

・この1ヶ月で3回も美術館に行った。〇〇の絵に鳥肌がたった。

・映画「〇〇」はすごかった。初めて同じ映画を映画館で2回見た。※あまり有名ではない映画について

・みんなが泣いたと言っている映画「××」で、涙腺がよわよわの私が一切泣けなかった。悲しい。※大ヒット映画について


この他にも自虐ネタとか単純に笑いが取れそうなことを思いつくと書きたくなるのだけれど、上に書いたような内容が多かった。


どうやら私は美術館に行くという高尚な趣味を持っている自分をアピールしたいらしい。

マイナーな映画を見ている自分を伝え、大人気の映画の良さが分からない、人と感性が違う自分を自虐に見せかけて伝えたいらしい。


その他にもあまり売れていない女優さんの魅力について語ったり、ドラマの脚本家の名前を出し、「〇〇さんの作品ははずれがない」と言いたくなる。


私は女優を発掘したことをアピールしたいし、ドラマの出演者でもあらすじでもなく、普通みんなが知らないだろう脚本家の名前を知っているツウな自分を伝えたい、らしい。


こうやってひとつひとつ考えていくと、私がどういう自分を人に見せたいのかなんとなく分かってくる。

すごく簡単にまとめると他の人とは違う自分やみんながあまり知らないことや注目していないことを見ている、かっこいい自分をアピールしたいようだ。


驚くことに、気の向くままにツイートしていた頃の私は、こういう自分をアピールするためにツイートしていたことをあまり自覚していなかった。単純にあったことをツイートしているつもりだった。

でも身の回りにあったことを全てツイートしているわけでは当然なく、ツイートすることを取捨選択していたわけで、結局は見せたい自分のためのツイートだったのだと今は気づいた。


他の人はどうなんだろう、本当にあったこと、考えたことを気の向くままにツイートしている人もいるのかもしれない。


でも多くの人は私のように見せたい自分にまつわるエピソードをツイートするのかな、と思う。

そう思ってからは他の人のツイートの見方が少し変わったような気がする。

この人はどう見られたいのかなと、このツイートの裏にはどんな意味があるのかな、と。

その人が見せたい自分をアピールしていることを自覚しているのか、無自覚なのかは考えても分からないけれど。


ツイートをやめた私は、見られたい自分をアピールできなくなったからといって、それで自我がぐらつくこともないし、特に問題はない。元々Twitterなんかやっていなかったのだから、当たり前なのだけれど。

心の中では、脚本家に注目する自分をかっこいいと思っているけれど。


でもTwitterをとりあえずられたら不安になるとか問題が起きる人もいるのだろうなあと。

みんななんのためにSNSを更新しているのだろうか。

人によるのかな。